千葉地方裁判所 昭和59年(ワ)779号 判決 1986年12月15日
原告
金子良一
被告
大保一成
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金八六三万七五七二円およびこれに対する昭和五七年一月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金一〇七八万二四三三円及びこれに対する昭和五七年一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
(一) 事故発生日時 昭和五四年七月一三日午前七時五〇分ころ
(二) 場所 千葉県船橋市小室町二四六六番地先の交通整理の行われている交差点(通称小室交差点。以下「本件交差点」という)
(三) 加害車 普通乗用自動車(習志野五六ひ四八〇八号)(以下「被告車」という)
(四) 右運転者 被告大保一成(以下「被告大保」という)
(五) 被害車 原動機付自転車(習志野市を二三六号)(以下「原告車」という)
(六) 右運転者 原告
(七) 態様 原告車が八千代市方面から白井町方面に向つて本件交差点を半分程通過した際同交差点を白井町方面から三咲町方面に向つて右折進行中の被告車の前部が原告車の右側に衝突した。
2 原告の受傷
(一) 右事故により原告は、右下腿骨開放性骨折の傷害を受けた。
(二) 原告は右傷害によつて、昭和五四年七月一三日社会保険船橋中央病院に入院して緊急手術を受け、同五五年四月一三日までの九か月間同病院に入院し、その間、同五四年九月二六日右下腿骨のプレート固定、骨移植手術を受けた。退院後、同五六年二月二日までの約九か月間は、二週間に一回づつの割合で通院して治療を受けたが、高齢のため骨癒合が遅れ、装具を装着して歩行訓練を行つた。そして、同年二月三日から同五七年一月三〇日までの約一二か月間は、休日を除いてほぼ毎日通院して、集中的に機能回復のためのリハビリテーシヨンを行い、その間同五六年一一月九日から同月二一日まで内固定具抜去手術のため再入院した。
(三) 右傷害のため、原告は、現在も右下腿外側にしびれ感、冷感があり、わずか一キロメートルの連続歩行で足関節から足部にかけ痛みを感じて歩行が不能となる。第一足指は背屈不能、足関節運動は背屈〇度・蹠屈五〇度で、つま先立ちができず、しかも、右下腿が左に比べ一センチメートル短いため跛行するという後遺症状が認められる。
(四) 被告の右症状が固定したと認められるのは昭和五七年一月三〇日である。
(五) 被告の右症状は自賠法施行令第二条後遺障害別等級表第九級に該当する。
3 被告らの責任
(一) 被告大保は、本件交差点を白井町方面から三咲町方面に向けて右折進行するに当たり、同交差点を八千代市方面から対向直進してくる車両の動静を注視すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然右折を開始したため本件事故を起こしたものであり、同被告には過失がある。
(二) 被告車は、被告井川泉(以下「被告井川」という)の所有であり、同被告はこれを自己のため運行の用に供していた。
4 原告の受けた損害
(一) 治療費 金二一六万九三〇〇円
(二) 入・通院中の慰謝料 金三八七万円
原告は、本件事故によつて、前記2(二)記載のとおりの入・通院を余儀なくされた。右入・通院によつて原告の被つた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は、金三八七万円を下らない。
(三) 休業損害
原告は、本件事故発生前、有限会社中和製作所にミーリング工として勤務し、一か月平均金二〇万一〇〇〇円の収入を得ていたところ、本件事故による傷害のため、本件事故のあつた昭和五四年七月一三日から症状が固定した同五七年一月三〇日まで休業を余儀なくされ、その間得たであろう合計金六一三万五〇〇〇円の収入を得ることができなかつた。
(四) 後遺症による逸失利益 金五五六万二四三三円
原告は症状固定当時満六一歳であつて、なお八年間は稼働可能であつたが、前記2(三)記載の後遺症により従来稼働していたミーリング工としての業務に就くことは不可能となつた。右後遺症の程度は、自賠法施行令第二条後遺障害別等級表第九級(労働能力を一〇〇分の三五喪失)に該当するから、新ホフマン方式によつて原告の右後遺障害に基づく逸失利益を算出すると金五五六万二四三三円となる。
241万2000×35/100×6.589≒556万2433
(五) 後遺症による慰謝料 金五二二万円
本件事故により、前記2(三)記載の後遺症が残つたことによつて原告の被つた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は、金五二二万円を下らない。
(六) 損害の填補 金三八七万二三〇〇円
原告は被告大保の父親である訴外大保栄二から本件事故による損害の賠償として合計金三八七万二三〇〇円の支払を受けた。
5 よつて、原告は、被告大保に対しては民法七〇九条、被告井川に対しては自賠法三条本文に基づき、各自、前項(一)ないし(五)の損害合計金二二九五万六七三三円から前項(六)の填補額金三八七万二三〇〇円を控除した残額金一九〇八万四四三三円の内、金一〇七八万二四三三円と、これに対する前記症状固定の日である昭和五七年一月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち、(一)ないし(六)は認めるが、(七)は否認する。
2 同2の事実のうち、(四)と(五)は否認し、その余は不知。
3 同3の事実のうち、(一)を否認し、(二)は認める。
4 同4の事実のうち、(一)と(六)は認めるが、その余は全て争う。
三 抗弁
1 消滅時効
本訴提起は、本件事故発生の日から五年以上経過した後である昭和五九年七月二七日に提起されたものであるから、すでに本件事故による損害賠償請求権は時効により消滅している。すなわち、原告の主張する後遺障害は、右下腿骨開放骨折から生じたものであるから、本件事故当時予想できたものであつて、少なくとも右後遺障害は、昭和五五年三月ころには顕在化していたのであるから、そのころから三年が経過した同五八年三月ころには消滅時効が完成している。そこで、被告は、本訴において、右時効を援用する。
2 過失相殺
本件事故は、被告車が時速約一〇キロメートルの速度で、本件交差点を先行する右折車に続いて右折を開始し、右折を完了したところ、被告車の前方を原告車がすり抜けようとしたために、原告車の右側中央部分が被告車の右前部角に衝突した事故であつて、原告には、被告車の通過を待つてから走行すべき注意義務があるのに、これを怠り、被告車の直前をすり抜けようとした過失が認められるから、損害額算定に当たつては、相当の過失相殺がなされるべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1のうち、本訴提起の年月日は認めるが、その余は争う。
原告の後遺障害は、昭和五七年一月三〇日に至つて、ようやくはつきりし、その症状が固定したと認められたもので、原告が本件事故による損害の概要を確知したといえるのも右同日であり、一〇〇歩譲つても、内固定具の抜去手術を受けた昭和五六年一一月九日以前に遡ることはあり得ないから、本件事故による原告の損害賠償請求権については、未だ消滅時効が完成していない。
2 抗弁2の事実は否認する。
本件事故発生場所は、交通整理の行われている交差点で、原告車は八千代市方面から白井町方面に向け前方の青色信号に従つて直進進行していたものであるから、原告には過失はない。
第三証拠
本件記録中の書証目録、証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 請求原因1の(一)ないし(六)の事実(本件事故の発生)については、当事者間に争いがない。
二 本件事故の態様とその原因
1 いずれも成立に争いのない甲第二ないし第五号証、原告本人尋問の結果、被告大保本人尋問の結果(但し、措信できない部分を除く)を総合すると、以下の事実が認められ、この認定に反する被告大保本人の供述部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 被告大保は、昭和五四年七月一三日午前七時五〇分ころ、被告車を運転して国道一六号線(以下「本件国道」という)を白井町方面から八千代市方面へ向け、時速約四〇キロメートルで東進し、本件交差点に差し掛かり、三咲町方面へ右折するために速度を時速約二〇キロメートル位に減速した。被告車の前方には同じく三咲方面へ右折する先行車が一台あり、被告車は同車に従い右折を開始した。
本件国道は、幅員約一七・〇メートル、片側二車線の、中央分離帯の設けられた広い道路で、本件事故発生地点から八千代市方面へは緩やかな下り勾配が続いているが、道路上の見通しは良好である。
(二) 被告大保は、本件交差点に入る前に、一台の車が八千代市方面から白井町方面へ向けて対向直進し、通り過ぎて行くのを確認したが、その他に対向直進してくる車両はないものと軽信し、先行車両の動静に注意しながら右折を開始し、約一二メートル位進行した地点で、被告車の左前方約三・五メートルの直近地点に、本件国道を八千代市方面から白井町方面に向けて時速約三〇キロメートルで対向直進してくる原告車を初めて発見し、衝突の危険を感じて急制動措置を講じたが間にあわず、被告車の右前部角付近を原告車の右側中央部分(バツテリーおよびガソリンタンク部分)に衝突せしめた。一方、原告は、本件交差点手前において、まず被告車の前車が右折し、続いて被告車も右折しようとしているのを認めたが、原告車に気づいて当然停止してくれるものと思い、やや左にふくらみながら直進を継続したため、本件事故が発生した。
2 右1に認定した事実によると、本件事故は、基本的には、被告大保が、先行右折車両の動静にのみ注意を奪われ、本件国道上を対向直進して来る車両の有無を十分確認しないまま右折を始めた過失によつて発生したものということができる。
三 請求原因3の(二)(被告井川の運行供用者性)の事実については当事者間に争いがない。
四 原告の受傷、治療経過、後遺障害
いずれも成立に争いのない甲第一、第六ないし第九、第一二、第一三号証、第一四号証の一ないし二四および原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
すなわち、原告は、本件事故により、右下腿骨開放性骨折の傷害を受け、請求原因2(二)記載のとおり入・通院して治療を受けたが、同2(三)記載の後遺障害が残り、その症状が固定したのが昭和五七年一月三〇日であることがそれぞれ認められる。
五 損害
1 治療費 金二一六万九三〇〇円
治療費として右金員を要したことは、当事者間に争いがない。
2 休業損害 金五五五万〇一九三円
前記四に認定した事実と、原告本人尋問の結果およびこれによりいずれも成立を認め得る甲第一〇、第一一号証を総合すれば、原告は、本件事故前、有限会社中和製作所にミーリング工として勤務し、一か月平均金二〇万一〇〇〇円の収入を得ていたこと、然るに、本件事故のため昭和五四年七月一三日同社を退職せざるを得ず、以後傷害の治療に専念し、同五七年一月三〇日まで就労できなかつたことが認められる。
しかしながら、休業損害の算定に当たつては、昭和五四年七月一三日から同五五年四月一三日までの九か月間の入院期間中と、退院後六か月経過後である同年一〇月一三日までは、事故前収入の金額をその算定の基礎とするが、同年同月一四日から症状が固定する昭和五七年一月三〇日までは、若干のアルバイト的収入を稼働し得たものとみなし、事故前収入の八割をもつてその算定の基礎とするのが公平に合致する(但し、昭和五六年一一月には、内固定具抜去のため一二日間の入院がなされているので、その前後を含め一か月間は、全額を算定の基礎に含める)。
そうすると、休業損害は次のとおり金五五五万〇一九三円となる。
20万1000×16=321万6000
合計555万0193
3 後遺障害による逸失利金 金三一一万七八四七円
前示の原告の後遺障害の内容・程度は、自賠法施行令二条後遺障害別等級表第一二級七号(一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの)と、第一三級九号(一下肢を一センチメートル以上短縮したもの)の双方に該当するので、結局原告の後遺障害は、総合して第一一級に該当し、労働能力の二〇パーセントを喪失したものというべきである。
ところで、原告は症状固定当時満六一才であつた(前掲甲第一号証によつてこれを認める)から、その後、平均余命の半分程度である八年間はなお稼働可能であつたものというべく、原告は前示の後遺障害により、次のとおり金三一一万七八四七円の得べかりし利益を喪失したものというべきである。
20万1000×12×20/100×64682=311万7847
4 慰謝料 金四八〇万円
前示の、傷害の部位、程度、入・通院の経過と期間、後遺障害の内容と程度その他本件に現れた諸般の事情を勘案すれば、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛を慰謝するには、金四八〇万円をもつて相当とする。
六 過失相殺
前記二に認定した本件事故の態様とその原因に鑑みると、本件事故の発生について原告にも若干の過失があるものというべく、その割合は、原告が二、被告大保が八とするのが相当である。
そこで、前記五の1ないし4の損害合計金一五六三万七三四〇円について、二割の過失相殺をすると、残額は金一二五〇万九八七二円となる。
七 損害の填補
原告が、本件事故の損害の賠償として金三八七万二三〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。
よつて、原告の損害賠償債権の残額は、金八六三万七五七二円となる。
八 最後に、消滅時効の抗弁について判断する。
1 一般に、消滅時効制度は、<1>権利の上に眠る者は法の保護に値しない、ということと、<2>時間の経過とともに権利の存在の証明が困難になる、ということとに基づいて存在する制度であるが、不法行為に基づく損害賠償請求権について、民法七二四条が、特に「被害者が損害および加害者」を知つた時から三年という短期間で時効にかかる旨規定したのは、<1>三年も放置して不法行為による損害や苦痛を忘れている者は保護に値しない、ということと、<2>時間の経過とともに、加害者の責任の有無、損害額の確定・立証が困難になる場合が出てくる、こととを慮つたからである。
2 ところで、交通事故の被害者が、その傷害の治療に長期間を経過し、未だその症状が落着かない間に、加害者(運行供用者も含む。以下同じ)に対し損害賠償請求の訴を提起しようとする場合についてみてみるに、被害者としては、事故の発生と加害者を知る限り、その責任原因の主張・立証は容易でも、その損害の概要を主張、立証することは、事故に基づく傷害が治癒する見通しがたつか、或いは、症状が固定し、残存する症状を後遺障害として把握し得る時点に至らなければ、著しく困難であるということができる。けだし、右の時点に至つて、初めて、治療費、休業損害、後遺障害に基づく逸失利益、慰謝料(その額は、入・通院の経過と後遺障害の内容・程度により決定的な影響を受ける)等の各損害の概要を算出することが可能となるからである。
3 そして、被害者一般の意識としても、未だ症状が固定したわけではなく、懸命な治療の継続中の段階では、とりあえず請求可能な損害のみを請求するための訴を提起し、後に明確になつた損害は、その段階で請求を拡張する方法を選択しよう、という気持をもつ者は少なく、傷害の治療に全力を尽し、どうしても治癒できない後遺障害の存在とその内容・程度が概略明らかとなつた時点で、一括して全損害の賠償を請求しよう、という気持をもつ者が多いのではないかと思われる(なお、訴を提起される加害者にとつても、その訴訟を審理する裁判所にとつても、損害の概要が不明の段階で訴を提起されるよりも、その概要が明確になつた時点で一括請求を受けた方が、その処理の対応がし易い面があることも否定できないところである)。
4 右2および3に説示した点を考えてくると、被害者が、事故の発生と加害者を知つていても、未だ症状が固定せず、懸命な治療を継続中の段階では、たとえ、事故の日から三年以上を経過した場合においても、前記1に説示した短期消滅時効の立証趣旨の<1>および<2>は、いずれも全く当てはまらない、というほかはない。
そうだとすれば、民法七二四条にいう被害者が「損害を知りたる時」とは、傷害が治癒する見通しがたつか、またはその症状が固定し、残存する症状を後遺障害として把握し得る時点に至つた時、であるというべきであり、消滅時効は右基準日の翌日から進行を開始するものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原告の症状が固定したのは、前記四に判示したとおり昭和五七年一月三〇日であるところ、同年同月三一日から三年以内である昭和五九年七月二七日に本訴が提起された(この事実は当事者間に争いがない)のであるから、被告の消滅時効の抗弁の理由がないことは明らかである。
九 結論
以上の事実によれば、原告の本訴請求は、被告らに対し各自金八六三万七五七二円およびこれに対する症状固定の日の翌日である昭和五七年一月三一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその限りでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 増山宏)